例えば私が人間だったなら、彼と私の関係はもう少し違ったのだろうか。
さらさらとペン先が紙を撫でていく音を聞きながら、私はさっきからずっとそんなことばかり考えている。もう何度も繰り返した自問だったけれど、それに見合う答えは見つからず、ただひたすらに時間が過ぎていくばかりだ。
外は雨。吐いた溜め息さえ雨音に掻き消された。
霧が立ち込めて、地面を叩く雨足は一向に緩む気配はない。まるで私の考えを嘲笑うかのように陰鬱に降るのみだった。
私が人間だったなら。
初めから何も知らない、何も持たない人間だったなら。
意思さえ思想さえ持たず、ただ与えられるものだけを至福としていられたなら。
彼だけが唯一最上のものであったなら。
私の思考などお構い無しで、雪男は黙々と書類に目を走らせ文字を書き付けていく。もうどれほどの間そうしていただろう。そろそろ私の辛抱も限界に近かった。
ねぇ、雪男。
こちらを向いてください。
唇だけが小さく動いて声にはならなかった。
ああ、なんて臆病なのだろうか。たったそれだけを口にすることが花を手折ることよりも難しい。
雪男と同じ人間でないというだけで、私はこんなにも臆病になってしまう。
天使でなければ。
人間だったなら。
ずっと貴方と同じだけの日数の間、いつか共に息絶える日を夢見て寄り添っていられるのに。
私は人間ではないから有限という制約はないに等しく、死ぬなんてことはほぼできない。ただ何十年、何百年、今までずっとそうしてきたように、愛する人間の死を甘んじて見送るしかないのだ。
私が人間だったなら、雪男より仮に永く生きる命だったとしても彼の後を追って消えることだってできたのに。
全ての問いはそこに帰結し、しかし私はそうはできないのだと本能が打ち消していく。
私は私である限り奥村雪男という人を最上にすることはできず、大衆のうちの一人として一塊に愛することしか許されないのだ。
制約の多すぎる、なんと孤独な生き方か。
それでも。
それでも私はーー





「やっと終わった」





ぱたん、と開いていた本を閉じて雪男が疲労の滲む声で言った。
どうやら仕事が終わったようだ。眼鏡を外して眉間を揉む仕草に、これ以上職務に励むつもりはないという意志が見てとれる。
私はその様子を見るのが一番好き。だってそうすればようやく雪男が私に意識を向けてくれるようになるからだ。





「お疲れ様。もう触れても大丈夫?」





乱れた髪を払ってやると、彼はくすぐったそうに笑った。
可愛い顔。どんなに報われなくても、彼がそうして笑うだけで幸せだと思わされる顔だ。
私は髪に触れたその手で、柔らかく彼の身体を抱き込んだ。肩に顎をのせると、雪男はゆるゆると背中を撫でてくれた。





さん、何だか今日は甘えたがりだね」





どうしたの、と耳に心地いい声で囁くから、考えていたことを口にしたくなる。でもそれはきっといけないこと。
そんな子供みたいなことを言って、雪男を困らせるわけにはいかない。
この人は真面目だから、私の言ったどうしようもない夢のためにひどく胸を痛めるだろう。考えて考えて、それでもきっと私の望む答えなど初めからないのだから、泣きそうに顔を歪めてこう言うのだろう。
ごめんね。貴女の欲しがる答えが見つからないよ。
謝らなくてもいいのに、貴方が謝る理由などどこにもないのに。ただ私に済まないと詫びる姿だけが幻影のように浮かんでは消えて、そしてまた浮かび上がってくる。
いいえ、それは私の鎖。私が私であるが故の支払うべき代価の鎖なのです。
その鎖が貴方だったらどんなに幸せだったか。今、この身体を繋ぎ止めている腕がそれであったら、私はその戒めを苦とも思わず身に負い続けるのに。
雪男は背を撫でていた手を止めて、私の身体を押し潰すかのような強い力で抱き締めた。





「今日はずっとこうしててあげるよ」





雪男の甘美な誘いに、私は小さく頷いた。
そのまま背後に優しく押し倒されて、砂糖よりも甘いキスをひとつ寄越してくれた。
至近距離で見つめる彼の瞳があまりに優しいものだから、堪らず自らも唇を押しつけた。
ああ、人間になる夢が叶えられないならせめて今この時で全ての時間を止めてほしい。
愛しげに与えられる口付けに、叶わぬ永遠を夢見ながら密かに涙した。
窓を打つ雨が激しさを増していく。それだけは許されぬことだと、大罪であると、私を非難するかの如くに。



どうか、安心なさいませ天の父よ。
我が身は御身のためにある。
口にできる真実はただそれのみ。
ああ、なんと光栄で無慈悲な我が生だ。








‘永遠’とは耐えがたい苦痛のよう








タイトルが思い浮かばないときは歌に頼れ。


が、昔からの信条です。
そんなわけでGCの2006年リリースのアルバムの一曲め、「Anywhere」から
一番個人的にがつんときた一節からです。
そうか、永遠は苦痛なのかとなんだか解釈の違いに驚いた歌でした。
七さんの書く詩は時々ぎくっとなるから怖い。
すごいよ七さん、超好きです。



ところでそろそろDVDリリースですね!
嬉しい反面これから向こう2クール分DVDに給料がつぎ込まれるのが怖いです。
とりあえずほくろが怖い雪男が楽しみです。
                                         (2011/06/21)