“降るような”なんて、なんて麗しい表現。
これはまさしく降るような星。手を伸ばせば届きそうなその瞬き。
見上げた漆黒の空の下に君が僕と二人だけでいる。
僕と君が見ているものはこの満天星と、或いはお互い。
世界には僕と君しかいない。
そんな錯覚さえ抱いてしまいそうな、それはそれは見事な星空だった。
「あまり上ばかり見ていると転んでしまうよ、」
くるくると踊るように回りながら空を見上げるに、リジェネは僅かな苦笑を漏らしながら言った。
一心不乱に空を眺めるは、先頃“揺りかご”から出たばかりで目にするもの全てが目新しく何にでも興味を示した。
“揺りかご”に納まっていた時にリジェネが何度も彼女の元に足を運び、いつも外の世界の話をしていたせいか、主に屋外のものにその興味が移る傾向にある。
昨日は庭にある噴水を覗き込んで足を滑らせて頭から水に突っ込んだらしく、全身びしょ濡れで館内に入り、見かけたリボンズが珍しく笑い声をあげていた。
そんなこともあるものだから、を一人にするのは非常に気がかりだと、リボンズはリジェネに彼女の面倒を言い渡した。
彼はそれに静かに首肯した。言われなくてもするよ、とは言わない。
そんなことは分かりきった上で彼は言葉遊びに言っているに過ぎないからだ。
それにリボンズの傍にいるよりはの傍にいるほうが余程落ち着く。
彼女には奸計がない。リジェネをみつめる琥珀の瞳には嘘や暗い欲みたいなものは見えない。
「リジェネ、来て!こっちもっとすごい!」
顔を空に向けたままが手招きする。
差し伸べられたままの繊細な指先に触れて、自分のそれを絡めると、彼女は迷いもなくその手を握り返してきた。
あいたもう一方の手で肩に触れると冷たかった。そのまま後ろから抱き込む。
「雲が見えるよ。よく見える。流れてるんだ」
言われるままに見上げると、夜の雲が流されて形を変えていく様が見えた。
黒く広がった雲がほどけて細くたなびいていく。
「ああ、上空の方が風が強いから流されてるんだよ。昼間も見ているのに珍しい?」
「うん。夜はあまりリボンズが外に出してくれないし、リジェネ以外は昼間でも連れ出してくれないから珍しいよ。うん。私は目にするもの、何でも珍しい」
は楽しそうに頷いた。
冷えた冬の夜の空気に、鼻の頭と耳を真っ赤にして笑う。
こんなに寒くなるなら上着の一枚でも持ってくれば良かったと思いながら、なるべくに風が当たらないように一層強く抱き締めた。
柔らかく温かい白金の巻き毛に鼻先を埋めると、ふわりと品のいい薔薇の香りがした。
「リジェネ?寒い?」
腕の力に違和感があったのか、はリジェネの腕をそっと撫でた。腕の中で身動いで少しだけ振り向きリジェネの顔を見る。
いつもリジェネは澄ました顔で佇んでいるから、見上げてもその真意を読み取ることはできない。
リジェネは常のように紅玉の瞳に穏やかな微笑を浮かべた。
寒さが微塵も感じられないような、しかし笑顔にしてはまだまだ未完成で冷たいようなその表情。
温かい、とは到底形容できようもないが、は彼の微笑は嫌いではない。
なんだろう。
ただ単に綺麗なばかりで、その実が窺えない微笑なのに。
でもその質が人によって違う気がするのは何故だろう。
なんとなく。なんとなくだ。
私に向けるそれは、きっと彼にできる最上の微笑だ。
的外れかも知れないけどそう思う。
違ったならがっかりするけど、思うのがただなら自分に都合のいい解釈をしたい。
相手がリジェネならなおのことだ。
リジェネはどうか知らないけれど、は彼のことが好きだった。
想えば温かい気持ちになるし、触れれば指先から痺れるような熱いような感覚を覚える。
たくさんの本を読んだ。その読み漁った全てにおいてその感覚は恋とか愛とか言うもので、互いに想い合えれば登場人物は皆幸せな結末を迎えた。
いいな、いいな。
私もあんな風になりたい。
リジェネと想い合えるようになりたい。
そう思って最近は『星を見たい』という口実でリジェネを半ば強引に外に引っ張り出したりしているのだ。
リジェネは文句の一つも言わずに着いてきてくれる。
寒いとこうして抱き締めてくれる。
温かい。
薄い布越しに彼の体温が伝わる。
自分のことを妹みたいに思っているのだろうか。
ここでは美しいことにはあまり意味がない。リボンズを筆頭にヒリングもリヴァイブも、リジェネも皆必要以上に整った容姿だ。
も例に漏れない。琥珀に光る双眸と、光を集めて巻いたような白金の髪、白磁の肌。薔薇のように赤い唇。
容姿で気を引くなんて到底難しい。難しいどころか不可能だ。
じゃあ一体何が彼の気を引くのだろう。検討もつかない。
頭上に光る星は何かを知っているだろうか。
は頭を動かしてリジェネを見上げた。
薄い硝子越しのリジェネの紅い瞳が空に向けられている。緩やかな曲線を描く首筋が水鳥のそれのようで綺麗だ。
「ん?なに?」
視線に気付いたリジェネが顔をに向けた。
は驚いて視線を泳がせる。
「あー、うー、別に何もないよ。私はただリジェネを見てただけ。何も疚しいことなんてないから。リジェネは気にしないといいよ」
「なに、それ。疚しいことなんてないって疚しいことあるから言ってるんじゃないのかい?」
「いやだな、リジェネ。対と同じで疑り深いよ」
じっと見つめるリジェネから顔を背けて言う。すると、身体を回転させられてリジェネと向き合う形になってしまった。さらに手でぐいっと顎を掴まれて顔を固定される。逃げられない。
「あれは特別。正しく言うとあれはあまり周りを信じていないだけ。僕は疑り深いんじゃなくて慎重なんだよ」
あれ、だなんてリジェネは対の同じ容貌の彼をものみたいに言う。
もの。誰のものだろう。リジェネのもの?だったら羨ましい。私だってリジェネのものになりたい。
「僕のものになりたい?」
突然リジェネが長い指先での頬を辿りながら囁いた。
その指先の冷たさと読まれた心理に驚いて、は可哀想なほど狼狽えた。
「あっ、う、えぇ!?なに!?リジェネ、えぇ!?」
「強く想いすぎ。直で頭に響いたよ」
とん、とリジェネは自分のこめかみを指先で示す。
脳量子波だ。思うだけで通じるそれは眷族には少しの思考でも伝わりすぎてしまう。
不便だな、と顔を真っ赤にして俯くを見ながらリジェネは思う。
どうせならの口から聞いてみたい。
不可抗力で聞こえてしまう脳量子波では内の素直な声が伝わってくるが、それは他者に伝えることを目的としていないために聞こえたとしても感動に欠けるのだ。
リボンズとかなら別に聞こえたところで知らぬ顔で無視して感動も何もあったものではないが、に関してはその姿勢がまるで違う。
紛れもなく彼女だけ。言葉を選びながら、つっかえながらも懸命に言葉で伝えてほしいのは彼女だけだ。
「ちゃんと声に出さないと意味はないよ」
風に煽られて声が散る。
それでも言葉は違えずの耳に届いた。脳量子波ではなく、耳に届いて鼓膜に響いた。
「声に出したら…声に出したら、私はリジェネのものになれるの?」
少しの期待を孕ませた声に、リジェネは意味ありげに微笑んだ。
「さあ、どうだろうね。自らものになりたがるなんて酔狂のすることだよ。僕はそういうのあまりわからないな」
「なんだそれ!リジェネはいつもそんなだ!私のこと馬鹿にしてるんだろう!」
こういう時のリジェネは嫌いだ。
思いながら頬が膨らんでいくのをは止められなかった。
リジェネと話していると変な気分になる。嬉しくて堪らないのに、時々こんな風に無性に腹がたつことがある。
引っ付いたままだった身体をべりっと剥がしてはリジェネの腕から逃げ出した。
「脳量子波なんてあるからいけないんだ。なくなればいいのに。ないほうが絶対にいいよ」
「そうなればの癇癪も少しはマシになるのかな」
「もう!リジェネ!」
白金の髪を振り乱して怒るにリジェネはやれやれと言った風情で肩を竦めた。
小首を傾げて謝る。
「ごめんね?」
「うっわ…信じられない。その謝罪にはなんの感動も湧かないよ。謝り方、勉強したら?」
眉間に皺を刻んでは不快を露にした。
苛烈に光る琥珀の瞳に、ちかちかと頭上の星が映りこんでいた。
そういえば、こんな話も聞いたことあるなぁ、とリジェネは瞬きの間に思って声に乗せる。
「お詫びにいいことを教えてあげるよ。はこういうの好きなんじゃないかな」
「なに…」
思った通りは話に興味を示した。少しだけ身を乗り出している。
リジェネは散らばる無数の星を指差した。
「流れ星。あれに願いをかければ叶うんだよ」
「なにそれ!初めて聞いたよ!流れないかな!私、流れ星も見たことないんだ」
「待ってれば流れるんじゃない?たくさん星は見えるんだし」
星が多く見えようが流星に遭遇する確率にはさして変わりはないだろうが、という内心を隠してリジェネは天を仰ぐ。
は数秒前に腹をたてていたことも忘れたようで、子供のようにはしゃいでいる。
「あ、流れた」
明後日の方向へ視線をやり、リジェネが呟く。
「うそうそ!どっち?あっち?」
「願いかけなきゃ」
「えーと、その、あの、脳量子波なくしてください!」
「嘘だよ。流れ星出てないよ」
「はあ?!ちょ、リジェネ?」
「ごめんね?」
また謝るリジェネに今度はは肩を落とした。
「…リジェネといると疲れるね」
「ははは。ごめん。あとごめんついでにね、流れ星に願いをかけるなら消えてしまう前に三度唱えないといけないよ」
「どっちにしろ叶わないじゃない…。なんて奴だ…一遍誰かに同じことされればいいんだリジェネの馬鹿野郎」
ぐったりと項垂れて、は遂には綺麗に舗装された石畳に座り込んでしまった。
夜の石畳は冷たい。平らに鳴らした石はが触れたところを容赦なく冷やしていく。
「ごめん、ごめんね。あんまり君がはしゃぐからからかいたくなったんだ。謝るよ。、ごめん。冷えてしまうよ」
リジェネに手をとられて、抵抗する気力もなく力ずくで立たされる。
寒かったね、と抱かれてあやすように背中を叩かれる。
なんて馬鹿なんだ。
たったこれだけでもうリジェネを許す気になっているなんて。
そりゃ、リジェネもからかいたくなるよね。
暫くリジェネはそうしていたが、が落ち着いてきたのを察すると叩いていた手を優しく撫でる手に変えた。
脳量子波も、その気になれば防ぐ手はある。別に星に頼まなくても果たされる願いだ。
言葉にしてが願ったのはそれだけだが、まだもう一つ願いがあるはずだ。
それも星に頼む必要はない。頼んだところで過去、願いが叶ったという実績は見当たらないし、それはリジェネの心一つで決まるものだ。
流れ星はどの願いにも作用しない。
暫く無言の時間が続いた。雲が流れる。
風が小さくリジェネとの髪を揺らした。
無音を裂いたのはのくしゃみだった。
「あー、寒い…」
「びっくりしたよ。まさかくしゃみするなんて思ってなかった」
「ホントだよ、私だってびっくり。すっごい良いムードだったのにもう私の馬鹿。やっぱり馬鹿なんだね、私。ごめんね、リジェネ。私馬鹿で」
髪を抑えるように触ってが所在なげに言う。
でも、。
リジェネは静かに口角を上げる。
「僕は馬鹿な、思った以上に好きだよ。可愛いと思う」
はあ?と思い切り間抜けな顔をしただったが、次の瞬間に言葉の意味を理解したようで、一気にその顔を真っ赤にした。
茹で蛸みたい。
リジェネは率直に思った。
「なななななに言ってるの、リジェネ!信じられない!」
「ホント、ホントだよ。信じたほうが苦しいかも知れないけど君にとっては幸せだ。認めてしまいなよ」
「なんだ!好きって言われたのになんか腹がたつ!どうして!」
顔が熱くて素直に喜べない。風がもっと吹いて頭を冷やしてくれればいいのにとは本気で思った。
対するリジェネは常の涼しい顔でこちらを見て、荒々しくなったことが一度もないような声ではっきりと言った。
「でも、僕なら君の願いを叶えてあげられる」
叶えるのは流れ星なんかじゃない。
「言ってご覧よ。どんな願いを叶えて欲しい?」
はやっぱり信じられない、と言った表情でこちらを見ていた。
それでも唇は微かに動く。
「リジェネのものになりたいよ。私はリジェネに愛されたい」
リジェネが微笑む。
なんだかやっぱり人として未完成な笑顔だった。
ああ、でもその笑顔が私は大好き。
逃げ去る星
あんまりリジェネリジェネと内々で盛り上がってしまったので書いてみました。
あああ偽物!
いつものことだけど、これがあのキャラだよとか言って世に出すのはおこがましいような。
精進します・・・。(何度言った)
(2008/11/27)