さよならと告げる鐘の音が聴こえる。
「気をつけて、さん。くれぐれも、ね」
「ええ。貴女も」
「さようなら」
「さよなら」
口々に告げられる別れの言葉を背に、が靴音高く俺のもとに帰ってきた。
「もう良いのか?」
軽く手を挙げて訊くと、彼女は肩を竦めてみせた。
「良いの。これ以上ここにいても仕方ないでしょう?」
「そっか…」
ちらりと横目にを送り出した数人の群れを見る。が言うには、学生時代の学友だという彼女たち。今時珍しいくらい古風な様子の“お嬢様”だ。
如何にも良家の子女らしいその佇まいに、のバックボーンが見え隠れしている。
ソレスタルビーイングにおいても一際異彩を放つの美貌と超人めいた才覚は、学園という閉じた世界の中でも相当目立っていたに違いない。一体どれほどの取り巻きがいたのだろうか。
学生時代の思い出を振り返り名残惜しそうにこちらを見る目に、は文字通り目もくれず俺の車の助手席に身を預けた。
「ロックオン、早く」
「へいへい、了解」
急かす彼女に、俺は溜息をついた。
俺も車に乗り込み、アクセルを蒸かして静かに滑り出す。
遠退く友人たちに、一言。が、小さくさよならと言ったのが聞こえた。
俺は何も言わず、ただ右手で彼女の黒髪をぐしゃりと撫でてやった。
数瞬後、耳に届く嗚咽。
それが俺が初めて聞いた彼女の泣き声だった。
「泣くつもりはなかったのよ…」
車を停めてから暫くしてが鼻を啜りながら独白した。
泣き腫らした赤い目で呟く。
今は宇宙にいるであろう、眼鏡の綺麗な男と肩を並べるとんでもない容貌で、は子供みたいにわんわん泣いた。
その様を思い出しながら、声もなく笑うと彼女は赤い目で俺を睨んだ。
「ああ、悪い。でも、まあ…良いんじゃねーか?溜め込むよりはよっぽどマシだ。誰に見られる訳でもなし」
「貴方に見られた」
「良いだろ?役得だよ、俺には」
「あたしには得にならないわ」
膨れっ面で漏らす不満に、俺はますます笑いが込み上げる。
今日のは泣いたことで箍が外れたのか、常なら見せない素の部分が表に出てしまっている。
「かぁわいいなぁ、お前」
涙の跡が残る頬を撫でてやると、は逃げるように身を引いた。
「ロック…?」
「逃げるなよ、」
さらりと流れる髪に手を差し入れて、頭を抱き込む。狭い車内だ。
体勢が少し苦しい。
それでも彼女に触れずにはいられなかった。
今日、が友人たちに別れを告げたのは、本格的にソレスタルビーイングの仕事に関わるためだった。
住んでいたマンションを引き払い、友人たちと訣別し、あらゆる情報を操作し、自身がそこにいた痕跡を抹消した。
という名は偽名なのだという。
ソレスタルビーイングに関わるよりもずっと以前から名乗り続けているその名。
嘘の名前。
実生活においても名乗ったそれのために、本当の彼女の足跡を辿ることは不可能なのだと、いつかの時に言っていた。
それでも“”の経験したことは、“本当”の彼女の中にも同じく蓄積されている。
偽りの名でできた友人もその一つ。
想いに偽りはなかったのだろうが、騙しているようで申し訳ないとも言っていた。
「強がりすぎだ…お前は」
いっそ潔いほどの嘘。
長い間つき続けたそれは驚嘆に値する。
しかし、それを隠して生きてきた月日はどれほど彼女を苛んだのだろう。
正直想像がつかない。
俺などに容易に想像がついてしまっては、の努力は無に帰してしまう訳だが、俺は分かりたかった。理解してやりたかった。
「なあ、。お前、自分には得がないって言ったな」
「なに?」
「お前がせめて素直になれる場所が俺なら…得にはならねぇか?」
これから続く戦いにも、強がりなはますます嘘をついていくのだろう。
それではきっと耐えられやしない。あの場所では生きていけはしないだろう。
だったらせめて、泣ける場所を。
誰な目を気にせずに、子供のように泣ける腕を。
「お前にくれてやるよ。俺の全部を」
この腕も。この胸も。この声も。この命も。全部お前のもんだ。
際の赤くなった、海色の瞳が大きく見開かれる。
俺は迷いもなく、微笑んだ。
「俺は本気だぜ」
愛しい、偽りの君のために。
或る代償
男前なロックオン(ニール)推奨。
ロックオンならこれくらいは言ってもらわないと、って言うかこれくらいの度量というか男気をみせていただきたいところ。
(2008/2/24)