遥か頭上から降る雨を受けて、それは彼がいないこの世を恨むあたしの涙なのだと貴方は言う。
「はあ…恨み、なの?」
「だと思うけどな。アンタが恨んで恨んで、これ以上ないってくらいに恨んでるから、兄さんの墓参りの日はいつも雨だ」
どれほど文明や技術が進化しようと、雨を避ける術は遠い昔とそう変わらない。頭上に差した傘を頼りにあたしとライルは慎重に墓地を歩く。パタパタと傘を打つ雨に、ライルは溜息を吐いた。
今日はニールとライルの誕生日。一人の誕生日はいくら亡くなったニールとはいえ寂しいだろうと二人で彼とその家族が眠るお墓にやってきた。なのにこの悪天候。ライルはそれがお気に召さないようで、年甲斐もなく膨れっ面でそんなことを言った。
「雨男なんじゃない?」
あんまりな言い種にせめてもの仕返しを、と言い返してやるとライルは肩を竦めてみせた。
「だとしたら俺が兄さんが死んだことに対して相当恨んでるってことだな。誰にだよ。殺した奴か?それとも俺の将来やら何やら抱え込んだあの人にか?前者なら俺は相当なブラコンだな」
悪い冗談だ、と続けるライルは水溜まりを跳ね散らかしながら歩いていく。そのどこか乱暴な足取りに、あたしは彼が表に出せないやるせなさを感じてそれ以上の言葉を失ってしまった。
そうは言ってもライル。家族が殺されて怒ったり悲しんだりしない人はいないとあたしは思うのよ。ニールが死んだと聞かされて、本当は叫びだしたいほどの衝撃だったのに。その悲しみを理性で押し留めて貴方は戦場を駆ける。ニールは多分そんなことは望んでいなかったのだけれど。
最早死人に口なし。ニールはそのことを告げる術を持っていなかった。
砂利が足下で崩れて囁くように泣いた。
あたしより数歩先を歩くライルが、少し遅れ気味のあたしを振り返り小路の中程で歩みを止める。
「そこ、気を付けろよ。滑りやすくなってる」
言いながら手を差し伸べる。黒いスーツに、更に黒い斑点がぽつぽつとできた。彼の手は容赦なく雨に濡らされて、何もはめていない手を伝って足元に落ちる。
“恨み”に汚された手。
一瞬取るのを躊躇った。滴るものが血に見えた。赤黒く乾いてしまえば、きっとそのスーツに馴染んで分からなくなってしまう。彼自身も知らないうちに見えなくなってしまう。
でも瞬きの間に落ちる雫は確かに雨の雫で、赤い液体とは似ても似つかない。錯覚だ。
ざわめく思考を振り切るようにしてちょっと乱暴に手を取ると、それ以上の力でぐいっと強く引かれた。
「わ…」
「あ、悪い。強く引きすぎたな」
勢いに負けて飛び込んだ胸にぴったりと頬が触れる。布地を越えて伝わる鼓動にじっと耳を澄ませた。
生きている証。正しいリズムで踊る彼の心臓に、騒いでた気持ちもだんだんと静まっていく。もうニールの胸では感じられない緩い鼓動に、今身を預けるライルが否応なく彼とは全くの別人であり、ニールがこの世にいないのだということを思い知らされた。
その今更ながらの喪失感と同時に胸の内に、ある種の安心感が湧き上がる。
大丈夫。ライルは生きている。死んでなんていない。この服と皮膚、筋肉と骨の向こうにある心臓が動いているうちはライルは生きている。冷たくなんてならない。
「?」
長く感傷に浸りすぎた。名前を呼ばれて我に返る。
ライルがさっき引き寄せた手であたしの喪服の肩を揺さぶって、気遣わしげに顔を覗き込んだ。
「おい、大丈夫か?なんかぼーっとしてるぜ?気分でも悪いのか?」
「う・・・うん。何も・・・。ただちょっと」
「なに?」
こういうところはニールによく似てる。
この兄弟は人の気持ちや気配に聡くて、他人が見過ごしそうなことをよく見ている。
でもライルがニールと違うのは理由を聞きたがるところ。聞きたがるというのはちょっと語弊があるかもしれない。彼は心の荷を楽に降ろせるように、敢えて言いにくいことでも話してみろと暗に示唆しているのだ。
確かに誰かに話してみれば気持ちがすっと楽になるのは誰しもよくあること。あたしも過去、ライルにやんわりと促されて言葉にして楽になったことがある。
一方のニールは話さなくても受け止めてやるよと、どんと構えたスタンスだったのは記憶に残っている。
それぞれ良い特色があって、頼り甲斐があるのは結構なことだ。
ライルは辛抱強くあたしが話すのを待ってくれた。
あたしは自分の傘を畳むとライルの傘に入った。傘に潜り込むあたしに彼は驚いたような顔をしたけれど、文句も言わずに濡れないようにと傘をこちらに寄せてくれた。急に今みたいに頼りない気分になってもライルは優しく寄り添ってくれる。
縋るように腕に手を添えると、接近した彼から煙草の匂いが燻った。
ニールのお墓はもう、すぐそこ。話しながら近づいていく。
「ライルは生きてるから心臓が動いてるのねって思っただけよ」
「当たり前なんじゃないか、それ」
「うん。だけど、もうニールは死んでしまったから動かないじゃない。その一つの器官が動いてるかどうかがあたしにとっては重要なことなの」
「重要ねぇ・・・」
生きてりゃ動くもんだろ、とライルは納得いかない様子で唸った。
だけれど、それがどれほど奇跡的なことかをライルはまだ知らない。いずれ分かるようになる。ただそう返してあたしは会話を切った。
そうしているとほどなくニールと彼の家族が眠るお墓の前に辿り着いた。
雨の中でもしっとりと黒く光る大理石の墓標。簡素だが荘厳ささえ感じるそれは違わず彼の人の墓標だった。その前に真っ白な百合が手向けられていた。
「教官さんか」
覚えがあるのか、ライルは彼の中で流行っているらしいティエリアの愛称を呟いた。
ティエリアもニールの誕生日のお祝いにやってきたのだろうか。綺麗に整えられた花束が雨に打たれて尚、光るように咲き誇っている。
「ティエリア、一人できたのね」
「みたいだな」
「誘って一緒に来ればよかったわね。そのあと一緒にゴハンでも食べに行けたのに」
「お前、墓参りが終わったら二人でお祝いしようねとかなんとか言ってなかったか?」
あたしの思いつきが気に入らないらしく、ライルは口をへの字に曲げて抗議した。
なにも本気ではないのに、そこまで面白くない表情を見せられてはどちらが年上だか分からなくなる。零れる笑みを噛み殺しながら、自分たちが持ってきていた花束をティエリアの花束の隣に並べて置いた。
日本ならお線香に火をつけようとするものだが、こちらにその習慣はない。大儀そうに十字を切るライルに倣って祈りを天に召されたニールに捧げる。
ニール。
貴方がいなくなって随分経ってしまった。あたしは今も変わりなく忙しく生きているわ。
お誕生日、貴方が一人で過ごすなんて寂しいかと思ったけれど、ひょっとすれば寂しくはないかも知れない。そちらには家族がいるんでしょう?きっと賑やかに過ごしているのね。お父さんやお母さん、妹さんにお祝いされて楽しくしている?
ライルはこちらで一人ぼっちでなんだか寂しそうにしてたから、あたしがちゃんと拾ってあげたわ。大丈夫、一人にしないから安心して。プレゼントだって用意したわ。気に入ってくれるかは分からないけど、でもたくさん気持ちをこめたのよ。
たくさんたくさん込めたの。口では言えないけれど。きっと伝えるのは到底無理だから。
でも、ねぇ。どうせライルには聞こえないんだからニールには教えてあげる。
生きていてって願ったの。
ずっとずっと生きていて。その心臓を動かしていて。冷たくならないで、温かいままでいて。
ずっと傍にいてよ。ニールみたいにあたしを置いていかないでよ。
だって一人が寂しいってこと、ニール、貴方だって知ってるでしょう?
置いていかれる悲しみを、貴方だって知ってるでしょう?
あたしはずっとニールのことが好きだった。
だけど突然一人にされて、ライルが言うように何かを恨んで恨んで、どうしようもなく打ちのめされてしまった。
立ち上がる気力さえ、いいえ、座り込む気力すらなく戦場に立ち続けていたあたしに進む力をくれたのはライルだった。彼のお陰であたしはまた立っていられる。同じ顔だけど、全く違う彼が愛しくなった。
大事なの。
今のあたしに世界の変革だとか平和だとか、そんなことはどうだっていい。ライルがいるかいないか、ただそれだけが大事なことなの。
隣で黙祷するライルの横顔を見上げた。頬にかかった緩く波打つ髪がふわりと風に浮く。
ああ、その一瞬でさえも守りたい。攫われないように、掬われないように。
恨みの雨に彼が囚われてしまわないように。
その手が、他人のものであろうとなかろうと、滴る赤に染まらぬように。
ライルが薄く眼を開く。死んだ貴方とそっくりな澄んだ碧の瞳。
あたしを見て驚いたように見開いた。困ったように微笑む。
彼が覗き込んで手で触れたあたしの眦に温かいもの。
「・・・なんて顔してんだよ」
空から降るのは“恨み”の雨じゃない。
貴方をニールのように失くしてしまわないか、それを恐れる“嘆き”の雨だ。
これより先、共に在れるか。不確定な未来にあたしは一人涙を零した。
からり、と何かが落ちる音。
雨に曝された身体が抱き寄せられて包まれた。
温かい腕に抱かれて、あたしは思う。
来年も、その次の年もライルの誕生日をお祝いできるといいな。
そんな穏やかな未来が続くよう、静かにそっと瞳を閉じた。
誰に祈ればいい?
ニール込みで今更ですがお誕生日おめでとうディランディ!
二期もいい加減終わるのに未だつかめない弟にやきもきです。
それが持ち味なら仕方ないのかなぁ・・・あたしはもっと明快な人が好きです。ニール!
あの、ちょっと、ちらっと耳にしたんですが、00映画化ってホント?この期に及んでそれはないと思うのだが。いかに。
(2009/03/08)