「二人でお使い頼まれてくれんかな?」
眼前に座ったあたしときり丸を見て、学園長はそう言った。
どうしてこの組み合わせなのかと、少し疑問に思ったけれど元気にはい!と返事した彼が可愛くて。
あたしも同じように頷いていた。
お使いは簡単で、学園長のお知り合いだという人に文をもっていくだけのもの。
きり丸は、貰ったお駄賃をそれはそれは大事そうに抱えて、跳ねるように道を歩いた。
「帰りは違う道歩いて帰ろうか。途中でお団子食べてこうね」
「ごちになりまーす!」
久しぶりに関わる後輩に浮かれていたのかもしれない。
こんな小さな子にあんな顔をさせるだなんて、この時は全然思ってもいなかった。
それは唐突。
傾いた太陽が夜の帳を連れてくる、そんな時間のことだった。
「ちょっと待ってください、先輩」
突然隣を歩いていたきり丸があたしの手を引いた。
何事かと振り向くと、幼い顔に深刻そうな色を浮かべている。
「どうしたの、きりちゃん?お腹痛い?」
小さな彼の目線に合わせて屈むと、ふるふると首を横に振った。後ろで結ったおさげが揺れる様が、なんだか頼りない。
夕暮れが迫る道中、もし夜盗にでも襲われたらと僅かな懸念を覚えるけれど、彼がこんな状態でいるのに先を急ぐことは出来ない。
足元に視線を落として項垂れるきり丸を見つめたまま、彼が話出すのを待つ。
「あの、桜の木・・・」
聞きとるのも困難なほど、小さな声。
きり丸が、何か苦いものでも噛み締めるような声で言った。
あたしは彼が言った桜の木に眼を遣った。
小高い丘の上に随分大きな木が立っている。まだ季節ではないから咲いていないけど、春になれば見事な花をつけるだろう。
「うん、あるね。とっても大きい」
きり丸が顔を上げる。そうして桜を見て、ぽつりと呟いた。
「まだ父ちゃんと母ちゃんがいた時、家族で見に行ったんだ」
「お父さん、とお母さん・・・」
ああ、そうか。
あの木は、彼が覚えているご両親との記憶のうちのひとつだったのだ。早くに戦でご両親を亡くしたこの子にとって、数えられるだけの小さな思い出。
満開の桜の下で、お母さんが作ってくれたお弁当を広げて、お父さんととりあいになったのだという。
学園長のお使いで二人で出かけて、同じ道を通るのはつまらないからと帰り道は違う道を辿ったのが仇になった。
あたしの馬鹿。
こんなことになるんだったら、迂回なんてせずにさっさと帰ってしまえばよかった。
きり丸は大人びた子だから忘れていたけど、確かにまだ子供で、親の庇護に甘えて愛されているのが当たり前の年だ。すごく、今の状況は辛いはずだ。
泣かない瞳がぼんやりと桜の木を見つめている。
諦念と、懐古と。
色んなものが綯い交ぜになった悲しい色。
その両の眼を見てしまってはいてもたっても居られなかった。
まだ小さな彼を、きり丸の肩を引き寄せて抱きしめていた。
「先輩?」
「花が咲いたら見にこよう」
こんなこと言えた義理ではない。わかってる。
こんなこと言ったらこの子を困らせる。わかってる。
こんなこと言ってあたしがご両親の代わりになんてなれるはずはない。わかってる。
わかってるけど、だからってこんな眼をするこの子を放っておくなんてできるわけがない。
きり丸はやっぱり困ったような声で、しょうがねぇなぁと言った。
「先輩が行きたいってんなら付き合いますよ」
本当に人の気持ちに聡い子だ。あたしのどうしようもない感情を感じ取って、望む答えをくれる。
気遣われるべきは君。なのに、あやされるのはあたしだった。
「あたし、お弁当作る。きりちゃんが好きな物、たくさん作るわ」
「先輩、料理上手だから何でも好きです」
「みんな誘ってこようね。賑やかなほうがいいでしょ」
「先輩がそのほうがいいってんならいいっスよ」
もし、あの桜にまつわる過去の記憶が悲しいものになっているなら、楽しい記憶で上書きしてあげたかった。
大事な思い出なのに、それを更に違う思い出でなかったことにしようだなんて、なんて傲慢で身勝手なんだろう。
怒ったっていいのに、非常識な人だと罵ったっていいのに、彼はそうしない。
ただあたしの勝手なお願いを聞いて、うんうんと頷いてくれた。
大人過ぎるよ、きりちゃん。
どうしようもなくなって、細い肩に頭を押し付けた。なんだか、眼の奥が熱い。
こんな小さな子に頼ってしまうなんて、あたしは本当に頼りない先輩だ。
きり丸は、そっとあたしの背中に手を回して優しく抱き返してくれる。
今、どんな顔をしているのだろう。
切ない表情を浮かべている?
あたしがいるから泣けずに、涙を堪えているの?
だけど。
その柔らかな頬を、あたしの髪に擦りよせて彼は言った。
「先輩、ありがとう」
自惚れてもいいかしら。
君の声が、とても穏やかで、幸せそうに聞こえたから。
ほんの少しだけでも温かい気持ちになれたのなら、あたしの言ったことは無駄ではなかったと。
彼が小さな溜息を漏らす。
それは、甘くて穏やかな、温かい吐息だった。
残照落ちて
きりちゃんの生い立ちってあんなほのぼのした作品なのに、一人だけやたらと殺伐としてますよね。
何気に1期から見てる身としては、今更その重みに気づいてしまったり。
子供のころは、ふーんで終わったのが見返してみると、なかなかの過去を背負っているな、と。
普段は明るいけど、たまに思い出したりして寂しくなってたりしたら、お姉さん抱きしめてあげるよ!と思いながら書きました。
寂しくてもやっぱり大人なきりちゃんで、そういうアンバランスさが大好きです。(2012/03/17)