「失礼いたします」





そう言って開いた障子の向こうには、学園の主、大川平次渦正が座っていた。
御年70を超える老体の身でありながら、その体力、言動には学園中が迷惑を被るほどの御仁である。
その彼がと兵太夫をちらりと横目に見た。その眼が二人が繋いだ手にくぎ付けとなっている。
そういえば繋いだままだったと思いだし、兵太夫、と呼び掛け手を離した。兵太夫は随分名残惜しそうだ。
それを見た学園長は愉快そうに笑った。





「良い良い。仲睦まじきことは重畳じゃ。二人の今は亡き祖父殿たちも喜ばれるじゃろうて」




含みのある言葉に、は首を傾げた。
何故今ここでとうの昔にこの世を去った人物が出てくるのか。しかも、口ぶりから察するに兵太夫の祖父も関係しているらしい。
何か裏がある。
は含み笑いを浮かべる学園長を警戒しながら、下座に兵太夫と並んで座った。





「どういう意味でしょう。それは私たちをお呼びになられたことと何か関係が?」




問うと、彼は傍に控えていたヘムヘムに、あれを、と小さく指示を出した。
忍犬は器用に二足歩行で歩き、その愛らしい前足に一通の書簡を持って主に差し出した。書面の表書きには二つの印章が記されている。
それを見た兵太夫が、あっ、と声を上げた。





「僕の家の家紋です。もうひとつは・・・」
「私の家のものです」
「左様」





学園長は重々しく頷いた。
どういうことだ。何故両家の家紋が並べて記されている。
確かに互いに武家である笹山家と家は、それなりの接点があるとは聞いたことがある。しかし、笹山家と家ではその格というものが釣り合わないのだ。
笹山家は一時家が傾きかけたこともあったと聞くが、その後持ち直し、今では地域を束ねる大役を務めている。抱える家僕も多く、荘園の規模は広大だ。
一方の家はというと、元はそれなりの家系であったが、十数年前の飢饉で酷く疲弊した。その後は四年ほど前の戦で、の父であり家当主が甚大な被害を受け、満足に身体が動かせない状況になってしまった。には兄が三人いたが、いずれも戦で命を失っている。母は弟が生まれた時に死んだ。
今は家名代という名目で、実質の当主であるが手腕はともかく、家を留守がちであるためにその役目はほぼ機能していない。
それほど差があるのに、この会談の意味とはなんだ。
はじっと学園長の言葉を待った。
ばらり、と腕の一払いで書面を解いた彼は、それに目を通し言った。





「これには、お前たち二人の将来を決めることが書かれておる」
「私たちの将来?」
「僕、まだ一年なんですけど、もう決められちゃうの?あり得ないよ」




早速兵太夫が文句を言っている。
物怖じしない、と評価はしたものの、ここまで来るといっそ無礼なのではとは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
相手はこの学園の頂点であり、指の一振りで生徒や教師の沙汰を決めてしまえる人物であるのに、その人物に向かって何という口の利き方だろう。
しかし幸運なことに、日頃は大人げない学園長も年長者らしく、その無礼にも鷹揚に笑って見せるに留まった。





「大体おじいちゃんなんかうわ、ちょっと、先輩!」
「ちょっと黙ろうね、兵ちゃん。それで、内容は?」





まだ何か言い足らず口を開きかけた兵太夫を羽交い絞めにして、学園長の先を促す。
兵太夫は腕の中で尚もきーきー何か言っていたが、に容赦なくぐっと力を入れて締められて押し黙った。これじゃあ死んでしまう。
その様子を見ていた学園長はますます笑みを深くする。





「兵太夫はの尻に敷かれることになりそうじゃなぁ」
「なんですか、それ。まるで私と兵太夫が結婚する見たい、な、言い方・・・」
「ふふん」
「なっ・・・?!」





言いかけてさっと血の気が引いた。
まさか。そんなことがあるものか。





「失礼!」





学園長の手の中の文をひったくるようにして眼を通した。
そこには彼女の想像通りのことが認められていた。





『笹山家に生まれた息子、兵太夫と、家に生まれた娘、に将来夫婦となることを命ずる。
戦乱の世、両家の絆を固く結び、一層の繁栄を望むものである。
互いに姦計を持たず、幾久しく添い遂げるように』





「なに言っちゃてるの、あのじいさん!!!」
「僕と先輩が、夫婦?」
「その通り。儂はその証人じゃ」





は眩暈を覚えた。
学園長は、笹山家はかつて戦場にて家に助けられた恩もある、と言っている。それが特に大家である笹山家が、今では格下である家と婚姻関係を結ぼうという最大の理由だとは推測する。
そして文面の最期に記された日付。飢饉の起こった年だ。
最早ぎりぎりのところで家を維持していた家に恩を返すべく、笹山家が婚姻を申し出たのだろう。息も絶え絶えな家は当然それを了承する。





「でも、私たちの祖父はとうに死にました!」
「しかし、この書状が残っている。これは両家の者が既に受け入れていることじゃ」
「私は受け入れてませんよ!冗談じゃないわ!」
「僕はいいと思うけどなぁ」





それまでずっと学園長とのやり取りを眺めていた兵太夫が、やけに通る声で言った。
呼吸を止めたように一切の動きを止めたに、兵太夫は更に淡々と言う。





「家で決まったんなら仕方ない。僕は受け入れます」
「ちょっと待って、兵ちゃん!君、何言ってるの?意味分かってる?あたしと君で両家の生贄にされたのよ!」
「どうせ僕、末っ子だしそういうの拒否権みたいなのないんですよね。先輩相手なら嫌だって言う理由なんてないし、問題ないんじゃないかなぁ」
「あるわよ!しっかりして兵ちゃん!」




兵太夫はがくがくと肩を揺さぶられた。
正気になれと必死で言うがなんとなく面倒くさくて半ば投げやりに問うた。





「えー?何、先輩は何か問題あるの?」
「あり!大ありよ!君、幾つだと思ってるの!学園入ったばかりでしょう!」
「僕は10歳。学園は入ったばっかりだけど、婚約者のいる奴なんて珍しくもなんともないでしょ?教師になりたいからちゃんと卒業はするし、先輩のことちゃんと食べさせてあげられるようにはするよ」
「そんなこと言ってるんじゃないのよ!」
「じゃあ何?他に問題まだあるんですか?」
「愛とかかのう」
「学園長は黙ってて!」




ああ、なるほど。
ぽん、と手を打つ兵太夫には泣きそうになった。
そんなことを言っているんじゃない。愛とかそういうのは大事だけど、そもそも笹山家が家と婚姻関係を結ぶとなれば、規模の大きな笹山家はうちを、困窮して傾いている家を抱え込むことになってしまう。知り合いならともかく、親戚関係ならば非常時に無視などできるはずもないだろう。あんなに大きな家だからそれくらい何ということはないのかもしれないが、笹山家にしてみれば得るものは何もない関係なのだ。
それに兵太夫はまだ幼い。こんな小さな子供がそんな大人の事情に巻き込まれていいはずもない。
それが一番気がかりなのだ。実弟とそう変わらぬ年の兵太夫が未来を勝手に決められているのが辛い。
しかし、そんなの想いを無視するかのように、兵太夫は嬉々として言ってのけた。





「それなら大丈夫。僕、先輩のこと前から好きだったから寧ろラッキー」




は今度こそ息が止まった。
がっくりと項垂れた彼女に兵太夫が夢見るように提案する。




「これからさんって呼んでもいい?」





なんと言えばいいのか分からない。
そもそも今語られた全ての事実に思考が追いつかない。眩暈が酷くなって座っているのでさえ苦しいほどだ。
それでも嬉しそうな兵太夫はの肩をねぇねぇと揺さぶっている。
ああ、やめて。それ以上されたら本当に倒れてしまう。
その行動をやめさせるために、は力なく呟いた。




「お好きになさって・・・・・」
















やっと何とかラブコメ風になってきてくれそうです;
ここでやっとあのオリキャラしかいない序章の意味がわかるわけですが、
あれはヒロインと兵ちゃんのおじいちゃんたちなのでありました・・・。
名前は決めてないです。先に出る予定がないから・・・死んだ人たちだし。
笹山家の設定はオリジナルです。
オフィシャルであんまり詳しく語られてないので深く決めてないんですが、とにかく大きい家ってことで。
                                                      (2012/05/13)