穏やかな風の吹く、午後の忍術学園。
広大な敷地のそこかしこで子供たちの賑やかな笑い声が響いている。そのうちの大半は下級生のもので、上級生はそれを微笑ましく眺めたり、或いは鍛錬に励んだりと思い思いに過ごしている。
遠くではしゃぐ後輩たちに混ざりたい気持ちで、彼女はしかし鍛錬を続けている。

くのいち教室にしては珍しく、六年生になる今まで学園に籍をおく数少ない者のうちの一人だ。
ここ忍術学園のくのいち教室には、将来くのいちになることを目指す実戦組と、婦女としての礼儀作法や花嫁修業を旨とする行儀見習い組がある。は前者であり、ここを卒業した後はくのいちとして働くことを目標としていた。
人数が少ないのは仕方ない。実戦組に入ったとして最終学年まで残るとは限らない。大抵はその修業の厳しさに音をあげたり、昇級試験に落第したりと理由は様々だ。ましてや行儀見習いに至っては、訓練の途中で嫁ぎ先が決まっただのと、すぐに学園を去るのはそう珍しくもない話であった。共に入学したときはたくさんいたくのたまたちも、今や三分の二にも満たない。
そうなると一人で鍛錬をするにも限界が出てくる。
悩んだは四年生に上がる頃から担任に相談して、同じく四年生の忍たまたちと共にある程度の授業を受けさせてもらえるよう交渉した。彼女の才能や豪胆さに一目置いていた担任はすぐにこれを学園長に相談、即日許しを得た。
それからはほぼ同じ時間を忍たまたちと過ごしている。
男友達ばかりが増えて、女っ気もないなぁなんて思わないでもないけれど、将来を思えばどうということはない。自分はひたすらに武を磨けばいいだけのこと。
そう思い、頭上に掲げた真剣を正面から振り下ろした。





「お見事ー」






カン、と小気味のいい音を立てて自分の腰の位置ほどに備え付けた竹が真っ二つに割れた。断面は寸分たがわぬ直線で、僅かな歪みもない。
は数ある武術の中で、剣術を最も得意としている。刀を持たせれば級友たちにも引けは取らないと自負しているが、正にその通りで先に行った試合において、僅差で対戦相手の潮江文次郎を打ち負かしたこともあった。
ふぅと息を吐いて歓声のあがった方を見る。
道場の戸口でぱちぱちと手を叩き、満足そうに微笑むのはへっぽこ事務員と悪名を轟かせている、小松田秀作である。
毒気の抜かれそうなふわふわした声と邪気のない笑顔に、はやれやれと肩を竦めた。





「もう・・・鍛錬中は静かにしてって言ったじゃないですか。小松田さんたら、すっかり忘れてたのね?」
「あー、確かに前にそんなこと言われたような・・・・。忘れちゃってましたぁ。ごめんねー」





あははー、と間延びした笑い声に脱力する。
この人って、なんでこう。いつもこんな。
思わず握ってしまいそうになる拳を緩めながら、は溜息を吐いた。
小松田という人の人となりを思えば、その展開には大体予想がついたはずだ。何度頼んでも、その内容を手に持っていた荷物のようにどこかに置いてきてしまう。だからこその悪名だ。
しかし、この笑顔を見てしまえば何故か多少のことはどうでもいいか、という気になってしまう。甘やかしては小松田のためにはならないと思いつつも、は一呼吸の間に彼を許してしまう気になっていた。なんて得な人。
仕方なく注意するだけに留まってしまう。





「まあ、良いですけど。次からは気をつけてくださいね。剣が手から飛んでって、頭に刺さっちゃったって知らないから」
「そんなことあるわけないじゃないですかぁ!だって剣握ってるの、学園でも指折りの剣士であるちゃんなのに!」
「万が一ってこともあるでしょ。あんまり買いかぶらないで」
「買いかぶってなんかないですよ!本当のことですもん!あーあ、私もせめて剣が得意ならなぁ・・・。そうしたらきっと良い忍者になれるのに・・・」





それはどうだろう。
小松田の暢気な嘆きに、は乾いた愛想笑いを浮かべた。
どんなに剣の腕が立とうと、それだけで一流の忍者になれるわけもない。必要とされるのは武術の腕だけでなく、知識や判断力、時には運でさえあるのだ。また、どれほど長い間忍者として活動していても、一流には及ばない者も数多くいるのだ。
忍者は武将ではないから、武術ばかり磨いてもそれだけでは大いに不足である。
それにの眼から見ても、小松田は何というか、総合的に忍者には到底向いていない。その理由を挙げれば切りがないが、唯一あげるとすれば非情になれぬ生まれもってのその性格。こんなに無防備で安穏とした様子では、戦場では生き抜くことはできないだろう。
それでも、そこがこの人の良いところでもあるのだから、無謀な夢を抱いていないで大人しく事務員に落ち着いていればいいのに、とは真剣に思う。
そんなの思惑を知ってか知らずか、小松田は延々と彼女の功績を讃えている。
やれ某国の姫君を暴漢から救っただの、やれ人買いに両親から引き離された子供を夜陰に紛れて連れ帰っただのと、自身覚えのないことまで連ねる始末だ。





「やめてよ、小松田さん。それって単なる噂だからね!」
「またまた謙遜しちゃってぇ!そうだ!私、ちゃんに弟子入りしちゃおうかなぁ」
「あーもう!やだっつってんでしょうが!いい加減にしないと刻むわよ!」




そう言って刀の切っ先を向けると、小松田は頓狂な悲鳴をあげて戸の後ろに隠れた。





ちゃんってすごい別嬪さんだけど、意外と手が早いよね!」
「足りないおつむに、あたしが一から我が国の言葉遣いというものを教えて差し上げようかしらぁ」
「ひぇぇぇぇえ!!!!」
「用がないなら出てって!鍛錬の邪魔よ!」




多少厳しい物言いだったが、これでもう余計なことは言わないだろうと背を向けると、小松田は、あ、と小さく声を漏らした。





「あー、忘れてました。さん、学園長先生がお呼びですよ」
「は?学園長?」





どうやら一応用事はあったようだが、学園長の呼び出しとは一体何事だろう。
呼び出しをくらうなど馬鹿な行いをした覚えはない。家族からの言伝なら学園長を通すまでもなく、自分に届くのだからそれも考えにくい。
とにかく行かなければ要件がわからない。
は頷いて刀を優雅な動作で鞘に納めた。





「わかりました。すぐに参ります」
「お願いしますね。さぁ、私は門前の掃除でもしてこよっと!」




そう言って小松田はようやく去って行った。
その後ろ姿を見送ってから道場の扉に鍵をかける。鍵はここを開放してくれた戸部に返さなくてはいけないが、学園長の呼び出しが優先されるだろう。
それが済み次第返すことにして、庵に足を向ける。
途中、人の多いところを通るものだから、すれ違いざまに後輩たちから、こんにちはと挨拶され、同じように返した。
屈託のない笑顔を見ると、学園より離れたところに住む年の離れた弟を思い出す。ここにいる一年生より年下の彼は、身体が弱くいつも床に臥せっている。
定期的に様子を窺いに行っているが、近頃は割と体調も良いらしく起きだして庭を眺めていることも多くなっていた。
良い傾向だが、その年頃の子供が外にも出ないで家の中にいるなんて、退屈の極みだろうと気の毒だ。友達もいなければ、見舞う者もいない。
誰か、一年生の誰かが友達にでもなってくれればいいのに。
出来れば利発で、話題のつきない子。
例えば・・・・





先輩!」





不意に背後から声をかけられる。
聞き覚えのある声に、は振り向いた。
そこには、鮮やかな浅葱色の一年生用の装束を纏った子供が立っていた。いつも気の強そうな大きな瞳に、今はどこか嬉しそうな色を映して、の傍に駆け寄ってくる。





「笹山兵太夫」





そうだ、例えばこの子。
一年生の中でも最も問題児の多いは組に所属し、本人はからくりの扱いに長けている。作法委員会に所属しているためか、物怖じというものには無縁のような子だ。
頭巾で覆われた小さな頭を撫でてやりながら、兵太夫なら弟の友人になってくれそうかな、となんとなく思った。





「先輩、もしかして学園長先生の庵に行かれるんですか?」




されるがままになっていた兵太夫は、を見上げてそう尋ねた。
そう尋ねるということは、もしや兵太夫もそこを目指しているということだろうか。
肯定のうえに問い返すと、彼は高いところで結った髪を揺らして頷いた。




「そうなんです。さっき教室にいたらヘムヘムに言われて。でも変ですよね?どうして先輩と僕が一緒に呼ばれるんだろう?」
「さぁ・・・。委員会も一緒じゃないし、六年のくのたまと一年の忍たまじゃほとんど接点もないのにね」





特に理由を見いだせずにそう言うと、兵太夫はがっくりと項垂れた。
さっきまではあんなに元気そうだったのに、どうしたのだろう。目に見えて萎れてしまった。
扱いづらい子ではないが、兵太夫は時折こういう態度を見せる。会った瞬間はものすごく嬉しそうなのに、会話をしたあと急に元気がなくなったりするのだ。
例えば以前仙蔵も交えた三人でいた時の話だ。自分が作った見事なからくりを披露したあと、が用意したお菓子に兵太夫がとても喜んだことがあった。
その様子を微笑ましく眺めたは、仙蔵に言ったのだ。
どんなにからくりの腕前がすごくても、兵太夫はやっぱり子供ね、と。
仙蔵も笑って肯定したが、兵太夫を見てから困ったような顔をして、そうでもないさ、と歯切れ悪く言った。
視線を移した彼女が見たのは、今の兵太夫そのものの表情だったのだ。
これは、要するにこの年頃にありがちな、子供扱いは御免だという意思表示なのだろうか。扱い易いと思っていたのは間違いか。
は思い直して、なるべく言葉を選ぶよう善処することを密かに誓った。





「とりあえず行ってみないと分からないわね。行こう、兵太夫」





そう言って後輩に手を差し出す。そして、あっ、と思う。
一瞬前までは子供扱いはしないと決めたのに、手を繋ごうなどとまた馬鹿な真似を。
いつもそうやってくのたまだろうが、忍たまだろうが構わず後輩の手を引いている癖がまた出てしまった。
しかし、固まったの顔をじっと見つめた兵太夫は、先程までの様子が嘘のようににっこりと嬉しそうな笑顔を浮かべた。





「はい!先輩!」





小さな指がぎゅっとの指を握る。
早く早く、と急かされて躓きそうになりながら小走りに廊下を駆ける。
はしゃぐような兵太夫の足取りに、ほっとする半面、は不可思議でならない。複雑すぎだ。
揺れる尻尾を眺めて思う。







・・・男の子って変なの。











やっと兵太夫がでてきたんですが、取りあえずここでカット。
切ったネームの半分も進んでいません・・・。
終わるのか、これ。

                     (2012/05/03)