「えっと、じゃあ後は・・・」
「まだ頼むの?後ろつかえてるんだから、それぐらいにしなよ」





ドーナツが並んだショーケースを覗き込みながら唸るを嗜めた。
僕よりも5歳年上の彼女は、甘いものに目がなくて放っておけばあれもこれもと選んでいくものだから手に負えない。きりの良さそうなところで止めてやらないと店側にも迷惑だ。
それに、その短いスカートで前のめりになるのは本当にやめてほしい。中身が見えるかも、という可能性は考えないのか。なるべく後ろから見えないように背後に立っているけど、そんな僕の気遣いなど知る由もないのだろう。
やはりはそれに全く気付かない様子でようやく身を起こし、そっかぁなんて暢気に言っている。





「じゃあ、それだけで。兵ちゃんももういいの?」
「いいから早く」
「せっかちなんだから、もう・・・」





僕がせっかちなんじゃなくてがとろいんだよ。
代金を支払って席につくと、彼女が嬉しそうに身を乗り出してカードを見せた。
何、よくわからないんですけど。





「見てみて!兵ちゃんの分まで貰ったからポイントいっぱい溜まっちゃった!」
「そう。良かったね」
「300ポイントあるから何か景品に換えようかなぁ。50ポイントでね、ドーナツ1個かハンドタオルに換えられるの」
「そう。良かったね」
「100ポイントで飲み物にも換えられて便利になったわよね。有効期限までに使い切らなくちゃ」
「そう。良かったね」





単調に返事しているだけだというのに、彼女は嬉しそうに頷いた。いつもはちゃんと聞いてよ!って言いだすのに。今日はやけに機嫌がいい。
両手で頬杖をついてこちらをにこにこと見つめている。穴が開いたらどうしてくれるんだか。
あんまり見るものだから、鼻先を抓ってやった。それにも笑顔を崩さないのだから、ひょっとしたら彼女はいじめられて嬉しい人種なのかもしれない。
それでもいいけど、ああ違うか。こいつの場合構われるのが嬉しいんだ。上に兄が三人もいるから、長女の割に甘ったれなところがある。そのお陰で5つの年の差は全く感じない。同学年か、後輩を見ている気分になるのはちょっとした救いかもしれない。
甘え上手な彼女を適当に構っていると、店員が頼んでいた商品を持ってやってきた。目の前に置かれた皿にぎょっとする。





「4つも食べるの?」
「うん。え、何?」
「いや、僕の台詞だよ。何、当然みたいな顔してるんだよ。いつ頼んだ、そんなに!」





の取り分の皿には、どんと4つドーナツが盛られている。あまり冒険しない性格なので、お馴染みのラインナップだが、それは明らかにカロリー摂取オーバーだと思う。





「兵ちゃんが選んでる間。オールドファッションだけって寂しくない?あたしの分わけたげる。ほーら、すっごい美味しそう。いただきまーす!」
「馬鹿、太っても知らないからな」
「大丈夫よー。また高等部行って金吾相手に剣道するから」





は大川学園の卒業生だ。更に金吾が所属する剣道部のOGだから、学園を去った今でも時折顔を出している。高等部在学中から何かと当時初等部だった僕たちの世話を焼いてきたせいか、顔も広いので勝手がいいと言っていた。
まあそこで運動するなら問題はないと思うけど。
夜のランニングは却下だった。随分前に知らない男に声をかけられてびっくりしたは泣きながら僕の家まで駆けこんできたことがある。それからは夜は一人で出歩くことを禁止して、どうしても必要なときは僕を呼ぶか一緒にいる誰かに送ってもらうかのどちらかにするように取り決めた。
はそれをきちんと守っている。しかし後者の提案はほぼ皆無で、殆ど僕が呼び出されている。まあそれを口実に会えるのだから、僕に文句はなく寧ろ当然だとすら思っている。





「明後日行ってこようかな。日曜だし。兵ちゃんもおいで。お弁当作ってくるから、一緒に食べよ」
「考えとく。まだ何とも言えないし」





ドーナツを口に運びながらそう答えた。
日曜は今のところ予定はないけど、ひょっとしたら三冶郎あたりが声をかけてきそうな気がする。最近一緒に遊びにもいってないし、誘われて断るのは親友として少々おざなりだ。
ああ、でも。
弁当作ってまで行くってことは部活につきあって遅くまで練習するってことなのか。終わったらシャワー浴びたりしてなんやかんやとしていたら、このとろくさいのこと、日が暮れてるなんてあり得る話だ。金吾が家まで送っていくだろうけど、それは何だか嫌だ。
金吾が嫌なんじゃなくて、言ってしまえばただの嫉妬で、みっともないことは分かってる。
は急に黙り込んだ僕を見つめていたけれど、ふふ、と笑うとアイスティーのストローに口をつけた。





「何?」
「うん、兵ちゃんがそうやって悩むときは、結局あたしのお願いどおりにしてくれるのが決まってるときだなぁって」





おかしなことを言う。
僕がいつそうしたって?相変わらずのおめでたい思考に盛大な溜息をついてやると、だって、と彼女が上機嫌に続けた。






「理由つけてるんでしょ?こうしたらあたしと一緒にいるのは自然なことだ、だから何も問題はないって」
「そんなわけないよ。の妄想だろ」





言いながら、ドキリとした。核心を言い当てられた。
そうだよ、悪いか。僕はいつだって理由を探してる。お前と一緒にいていい理由をずっと探してる。
年の差感じないなんて言ったけど、自分の中では本当は何となく不安だった。
5つも年下の僕に言いくるめられるようにして付き合いだして、それでは本当に満足しているのかって。もう何度したか分からない問いに答えは未だ見いだせていない。
これがあの立花先輩や食満先輩だったなら、はもっと違う顔を見せているんじゃないかなんて嫌な仮定ばかりが頭を過る。
だから、当たり前みたいな理由がほしくて今みたいに長考するのが癖になってしまった。
の言うとおり、理由をつけた日曜のことは行く気になっていて、お前がそう言わなければこのあと出た言葉は“行くよ”の三文字だけだったんだよ。
は自分のドーナツの山は無視して、僕の食べかけのオールドファッションをそのまま齧った。もくもくと咀嚼して、粉のついた口元を指先で拭って彼女は言う。





「あたし、甘いのが好きよ」
「・・・・うん」
「お砂糖たくさん入ってるほど大好き。口に入れたとき、幸せな気分になる。これも結構甘いの。だから今幸せよ」
「・・・・うん」
「兵ちゃんはこのオールドファッションと同じね。あたしを幸せにしてくれるわ」





わけがわからない。こういう比喩は苦手だ。僕は理系で、文系なんかじゃない。
団蔵も目を回しそうな比喩にうまい返し言葉が出てこない。
捻りも何もなかったが、意味不明とだけ返すと、はテーブルに置いたままだった僕の手をそっと握った。





「感じ素っ気ないけど、あたしに甘い兵ちゃんが好きだって言ってるの」





わかんない?と下から覗きこむようなその目。その濡れた瞳の中心に困惑しきった僕の顔が映っている。
見たくないから手で覆ってやろうと思ったのに、彼女の指先が僕のそれに絡んでくるから振りほどくことができない。
いいや、振りほどきたくないんだ。そうして初めてのときみたいに柔らかい声で愛を告白する彼女に安心したい。
もっと、その声で僕のものだって証明してみせてよ。





「理由つけないとって思ってるんだったらそれでもいいじゃない。その全部があたしのためなんだったら、これ以上嬉しいことなんてないし、そのために兵ちゃんが納得してできるなら問題なんてひとつもないのよ」
「余裕ない奴、とか思わないわけ?」
「余裕?」





心外だと言った風情で、は言葉を反芻した。
そんなことは全く思っていないと否定してから、また僕の欲しい言葉を紡いでくれる。





「余裕がないのはあたしの方。久しぶりに会えたからって調子に乗ってドーナツたくさん頼んじゃうくらい浮かれてるの、分かるでしょ?それを兵ちゃんが嗜めて仕方ないなって顔して笑うのを見るのが幸せなの」
「安い幸せだね、
「そう。そんな簡単なことで幸せになれるの。それくらい兵ちゃんが甘いってことよ」





甘いのはの方だと思う。そんなに僕を嬉しがらせるようなこと言って、どういうつもりなんだろう。
甘やかしているのは僕ではなく、本当はのほうだ。
何度否定しても晴れやかに肯定してくる図太さには参ってしまう。





「敵わないな・・・には」





結局その優しさに甘えてしまう。それでもいいとが笑ってくれるから信じてもいいんだろう。
彼女以上に信じるにたるものが、僕の中にはない。
この想いの指標は全て彼女で、彼女が手ずから受け取ってくれるものなら全てが真実だった。
思わず零れた僕の笑みに、がそれ以上の笑顔をみせた。
甘い甘いその笑顔に随分ほだされてしまった。これからもずっとのこの顔を見るためにどんな願い事も叶えるしかないんだな、と確信する。
嫌な気分はしないよ。それが僕にとってもきっと幸せなことだ。
ずっと握ってたままだったね、と言って彼女は手を離した。そのままでもよかったけど、浮かれて買った分のドーナツを彼女は処分しなくてはならない。





「それにしてもごめんね。兵ちゃんのドーナツ、全部食べちゃった」





すっかりの胃に収まってしまったオールドファッションはもう跡方もない。





「いいよ。どうせあんまり食べる気しなかったし」
「でも勝手に食べちゃったし、お行儀悪かったね。あたし、新しいの買ってくるから待ってて」
「良いってば。食べたかったらのもらうし」
「でもポイント溜まってるから平気よ」





そう言ってさっき仕舞ったカードを出そうとバッグを漁るをとどめた。
そんなことされたら堪らない。





「次、また会うときにしよう」





甘いものって正直あまり好きじゃない。
でもはいつも甘いものを御所望で、それにはどうも僕が目の前にいるという布陣が絶対条件であるらしい。
だったらその簡単な願いを叶えるために約束のひとつでもしよう。





「日曜、行くよ。剣道終わったらまた食べに来よう」





その溜まりに溜まったポイントを消化するには十分だろう。
太るよって言った傍からこれなのに、それを聞いたは心底嬉しそうに笑った。





「ほら、すっごく甘い。理由は何なの?」
「さあね。に食べられたオールドファッション食べるためじゃないの」






そうだよ、理由なんて単純だ。
日曜の昼下がりに剣道に勤しむを眺めて、終われば一日の御褒美にドーナツを食べさせるため。それだけだ。
どこまでも僕に甘いを前にして、甘いオールドファッションを食べる。なんて甘すぎるんだろう。消化不良おこさなきゃいいけど。
そうは思いつつも、僕の思考は段取りよくその日の予定を組み立てていく。
甘いのも存外悪くはないのかも、と思ったのはには内緒だ。浮かれてまたたくさんのドーナツを買われたりしたら堪らない。
まだ目の前にはたくさんのドーナツが並んでいる。彼女はそれを手にとって、幸せそうに頬張った。










オールドファッションハニー









副題:ミスドの回し者。
ウォーキングコースにこの誘惑の得意なお店がありまして、大概負けて買っていくことがあります;
100円セールは危険であります!
今回は現パロで、ヒロイン設定は元のをひぱってきてるんですが、口調は連載より敢えて崩しました。
まさか現代で固い台詞はそうないだろうと・・・。変だし。
兵太夫もかなり砕けた口調にしてますが、ここはもう数年はおつきあいしているつもりなので、これくらいが普通かなぁと・・・。
言い訳しだすと切りがない!
                                                                   (2012/06/27)