夏の魔物
空を見上げれば抜けた青空に真っ白な入道雲。
遠くで鳴きやまぬ蝉は、あと七日かそこらの命だという。
暑さをしのごうと口に含んだアイスはそれよりもっと一瞬の命。
厳密に≪命≫という概念はもたないけれど、一方でそれは貴方の命を繋ぐ糧になる。
ああ、それはなんて不条理で残酷なこと。
貴方は魔物。
いずれはあたしさえも食べつくして糧にしてしまう、夏の魔物。
「おい、・・・何してんだぁ。死んだのかお前」
フローリングの床で仰向けに寝そべってうとうとしていたあたしに、頭上から乱暴極まりない台詞が投げられた。
薄く眼を開けると真上に白い天井が見える。視線を右に動かすとアイスを片手にあたしを見下ろすハレルヤが立っていた。
水色のアイスがしゃりしゃりと音を立ててハレルヤの口に収まっていく。
「死んでないし・・・。いいなぁそれ。あたしにもちょうだい」
寝ころんだまま腕をのばして彼の手を引っ張ると、ハレルヤは白い犬歯を見せて微笑んだ。
形容するなら「意地の悪い」というべきそれに、あたしは少しの危機感を覚える。
過去、この表情を眼にして安全であったことなど一度もない。会議中に誰も自分たちの方向を振り返らないのをいいことにスカートの中を触られたとか、出かければ人気のないところに連れられて盛られるとか、もうとにかくどうしようもない事態に追い込まれることしきりだ。
その有り余る性欲を関係のない人間にぶつけないのは、彼の唯一褒められる点ではあるけれど、普通は恋人といえどある程度は遠慮するのがマナーというものであるとあたしは思う。
何もハレルヤとそういうことをするのが嫌いだと言っているわけじゃないんだから、少しはこちらの気分とか周囲の状況を考慮してくれればいいのに。
本当はそういうことをできない子じゃないんだけど。多分というか確信しているけれど、彼がそうする理由の一つは、あたしの反応があまりにも彼の思い通りで楽しくて仕方ないからなのだ。
だって仕方ないじゃない。いきなりそういうことされちゃ、いくら冷静ぶってても簡単に仮面が剥がれちゃうんだもの。
とはいえ、今あたしとハレルヤがいるのはプトレマイオスでなければ、ラグランジュ3でもない。ソレスタルビーイングを離れた、あたしが所有する別宅の一つだ。
地球に降りて戦いの疲れを癒そうとアレルヤを含む三人で計画して出かけたのだが、アレルヤは滞在2日目にしてハレルヤにとって代わられ、今に至るというわけだ。
すっかり身体の主導権を握ってしまったハレルヤは、やりたい放題してそれなりに休日を楽しんでいるようだ。
そうくればそろそろというべきか、違う欲求も鎌首を擡げてくる頃で。
意味ありげに微笑んだハレルヤはあたしの傍にしゃがみ込んで、覆いかぶさるように顔の横に手をついた。
片方の手に握ったアイスを食べて顔を近づける。
「・・・んっ・・・」
熱い唇が降りてきて舌先でやんわりと歯列をこじ開けられた。
次いで訪れたソーダの甘い味と冷たさがさっと口の中で溶け去ってしまう。
単に口移しでアイスをくれたのならそれで終わりだけれど、二日間も一応大人しく過ごしていたハレルヤがそれだけであたしを見逃してくれるはずはない。
ハレルヤの熱い舌が口の中で踊り狂う。逃げるあたしの舌を追いかけて、絡めて、捕食者の如くに捕らえられる。
気がつけばあたしの身体は、殆どハレルヤ(正しくはアレルヤ)の体重で簡単に拘束され身動きのとれない状態になっていた。
重いとか鬱陶しいとか苦しいとかそういうことを思う以前に、のしかかったハレルヤの身体が異常に熱い。夏らしく30℃を超える熱気のせいではなく、十中八九彼が興奮しているために発せられるそれだ。触れたところが灼熱のようで、燃えているとさえ思える。
熱い気温、熱い舌、熱い唇、熱い身体。
全ての熱いものに翻弄されて意識が遠のきかける。
「ぁ・・・い・・・っ」
あつい。
その殆ど響きにすらならない声を聞いたのか聞かなかったのか、ハレルヤはその悲鳴の後反応をみせる。
焼けるような熱をものともせずに執拗に唇を貪っていた彼は、短い息を吐いてようやくあたしを解放した。
「も・・・くるし・・・」
永遠に続いていた気さえした長い接吻だったけれど、実際の時間はそれほど経っていない。それでもその短い時間はあたしの肺を殺すには十分で、あたしは絶え絶えになりながらも噎せ返るような空気を夢中で吸い込んだ。
ほぼ強制的に享受させられた熱は一向に引かない。深い奥、喉よりさらに深いところまで浸食しているようだ。空気が届いているのか疑いたくなるほどだ。
荒く呼吸するあたしとは裏腹に、ハレルヤは息も乱さず平然とした様子でこちらを見下ろしている。
「舌・・・噛んでやろうかと思った・・・・」
恨めしい独白にも大した感慨もないようで、彼は傲慢に顎をあげてみせた。
長い前髪がさらりと動いて、金色の鋭い眼が射抜くようにあたしを捕らえる。なんて悪い目つき。絶対悪いことを企んでいる時の眼だ。
こちらも負けじと睨み返すと、彼は声を出さず喉の奥でくつくつと笑った。どうやら睨んだあたしの眼が彼の気に障るどころか、寧ろお気に召したようでそれが嬉しくて堪らないと言った様子だ。
こらこら、あたしはちょっとアイスを強請っただけでこんな苦しい思いしてるんだからその仕返しに睨んでやったのに、そんなに楽しそうにされちゃ本末転倒じゃないの。
「そんなことしたら、後はどうなるか分かってんだろ?」
「どうなるのかしらぁ」
わざと反抗的な態度をとった。
そうするとハレルヤは口の端をあげて猫のように微笑んだ。
「俺はさぁ・・・お前のそういう反抗的なとこ、案外嫌いじゃないぜぇ?」
息のかかる至近距離で、ハレルヤの大きくて無骨な手があたしの頬をさらりと撫でる。
その蕩けるような熱。それだけで身の竦むような感覚。
畏怖?
違う。
それはほんの少しの期待。熱い熱があたしの奥を揺らして衝動を呼びおこす。
「反抗されるたびに、早く素直にしてやりたくなる」
鼻にかかる、やたらと甘ったるい声に、ぞくりと背筋が震える。
ハレルヤは、やっぱり暑いのか長い前髪をかきあげて首を振った。
「あ、やだもう・・・汗が」
隙間なく密着した肌に彼が流した汗が滴り、あたしの胸元に落ちる。
それを見たハレルヤがその滴をぺろりと舐めとった。
一瞬何が起きたのか分からず茫然としたあたしに、彼は胸に埋めていた面を上げて、悪ガキよろしく笑って見せた。
これって結構まずい状況なんじゃない・・・?
今更になって自身の身の危険を思い知らされる。
駄目だと思って渾身の力でハレルヤを振り切ろうとするが、所詮は非力な女の力だ。風に乗った花弁を捕まえるほどの軽い力で彼に難なく抑え込まれてしまう。
「やっ・・・ちょっとハレルヤ!」
「んだよ、うるせぇな」
「離しなさい!」
「やだよめんどくさい」
「なんて理由よ!」
唯一自由だった足をばたつかせて抵抗する。実際はそれすらも何の抗いにもならず。寧ろハレルヤを喜ばせる結果になってしまった。
「言ったろ。反抗的なとこも気に入ってるって」
密やかに囁かれ、意外なほど優しい所作で髪を撫でられてはもう抵抗する気さえ起きなくなってしまう。
それにそんな卑怯な殺し文句。あたしがそれを撥ね退けられるはずがなかった。
ぐっと押し黙ったあたしを見下ろした至近距離で、ハレルヤが獣のように微笑んだ。
いや、獣だなんてそんなぬくぬくと柔らかい毛皮に覆われた生き物じゃない。
例えるなら魔物。
喉元を這う舌がいつ尖った牙になるのか分からない。
皮膚を貫いて生き血を啜るのはひょっとしたらほんの数秒の後かもしれない。
だけど恐怖を感じないのはどうしてだろう。
熱い肌に頬を寄せて魔物が心地よさそうに息をする。そっと撫でれば長い髪で擽るように頭を押し付けてきた。
まだまだほんのじゃれ合いというところ。
それでもそう遅くはないうちにこの手に身ぐるみを全部剥ぎ取られてしまうだろう。
あたしはそうされるのを分かっていながらも、この身体を自分の上から退かすこともなく、ただその頭を抱きこんだ。
ねぇ、あたしを栄養にしてしまうのは構わないけど、一応ふかふかのベッドには連れて行ってほしいのよ。
顔をあげたらそう言ってやろうと思う。
魔物はまだ光る牙を見せず、熱いままの身体であたしを押しつぶす。
そろそろそんな穏やかな気配さえ煩わしくなって、乱暴にブラウスのボタンを外されてしまうはず。
夏。
遠くで蝉の鳴き声。
風にゆらり、揺れる向日葵。
涼やかな風鈴の奏でる音。
汗ばんで密着する肌の愛しさに、あたしはこっそり笑みを漏らした。
夏の魔物は、熱い指先であたしの白い脇腹に触れた。
「夏の魔物」ってどんな歌かさっぱり忘れています。
字面とワードでイメージ沸かせて、魔物とか言ったらハレルヤっぽいなーとかなんとか。
歌としては、アップテンポな割に歌詞がなんか寂しかったような気がします。
余談ですが、結構いろんな人にカバーされてる曲ですが、
あたしの一押しはやっぱり小島麻由美です!
良かった気がします。ええ、気が(笑)
いい加減発言に責任を負うべき頃かと思います。
(2009/08/29)