「子供の頃はなりたいものが沢山あったなぁ」
雲ひとつなく晴れ渡った空。太陽のみが輝く正しく晴天の日の下。
自軍の軍事セレモニーに湧き、紙吹雪舞う浮かれた町を高台からみやり、彼女が不意に呟いた。
盛大で華やかな管弦楽の調べに掻き消されそうな声だったが、私の耳はそれを敏く聞き付ける。彼女の一挙一動、一言一句を逃さんとする執着の顕れに、私は内心で自身を笑った。
「君が子供の頃とは、想像も及ばないほどに愛らしかっただろうな」
「エーカーさん、お話聞く気ないならあたし帰ってもいい?どうしてもって言うから出てきたんだけど?」
じとりと彼女の甘い緑灰色の瞳が私を睨む。私は肩を竦めて両手を挙げてみせた。
本当のところ、彼女が怒ったところで私に恐怖という感情が訪れることはない。
寧ろその尖らせた桃色のグロスで光る唇さえ愛らしく思える。例え彼女が私に銃口を突きつけたところでそう思う気持ちには偽りもなければ、変わることもない。
詰まるところ、私は彼女が見せるあらゆる表情に、文字通り心を奪われているのだ。それも、未来永劫に。
「済まなかった、。今この時は君を口説こうとするのは自重しよう」
「無理よ。エーカーさんたら、いつも落ち着きないもの」
エーカーさんて万年子供よね、なんて可愛らしい笑顔で言われては、溜息ばかりが出るのみだった。
美しさが罪だと言うのならば、可愛さだって罪たり得るに違いない。
「ほら、エーカーさん。見て。例えばあれよ」
一方で私の思いなど知らず、が細い指先で楽団を指差す。
「あたし、音楽家にもなりたかった」
楽団が奏でるリズムに亜麻色の髪を揺らしながら、が楽しそうに過去を振り返る。その表情は私が先に言われた言葉を返してやりたくなるような子供そのものの様子で、それでいて幸せに満たされた笑顔だった。
ただ微笑むだけで誰かを幸せにする、そんな笑顔。
私の心を捕らえて離さない愛しい太陽がそこにある。その横顔に優しい午後の光が降り、私はその恵みにさえ嫉妬するかのように柔らかな髪に指を滑らせた。
「楽器は何を?」
の細い肩がぴくりと動く。
促すように微笑むと、彼女は顔をぽうっと赤くして妙齢の女性らしからぬ様子で語り始めた。
「う、うん。そんなことは全然考えてなくてね。ただ単に楽器を奏でる様とか、楽器の造型美にばっかり目がいっちゃって。わぁ、かっこいいなぁって。あたしもあんな風に演奏してみたいなって」
「そうか。練習はしたのか?」
「うふふ、無理よ!そんなお金なかったもの!」
冗談めかして明るい声では言ったが、聞くところによると彼女はその昔大層苦労したようで、明日のパンにも困る生活を送っていたこともあるそうだ。
それ以外にも様々な逸話が流れているが、どれもほぼ間違いはない。何故なら彼女自身が軍部内の出版物のインタビューでハキハキと答えてしまったからだ。
軍部ではその愛らしさでそれなりに有名な・は、その証言により更に別の意味でも有名になってしまっていた。
曰く“プリンセス・シンデレラ”。
お姫様みたいな容貌と、涙ぐましい境遇を揶揄した二つ名だったが、彼女は気にする風もなく笑ってみせた。
お姫様なんて素敵!
手を叩いてはしゃいだあの時の笑顔ときたら、夢にも見るほど完璧なものだった。
私の心を読んだのかどうかは知らないが、彼女がその一連の出来事を振り返り階段の縁に肘をつく。
「お姫様にもなりたかったの。でもお金がなかったからそれにはなれないなって思ってたのに…」
「君が金を持っていようがいなかろうが、私にとっては初めて会った時から姫君だったよ」
「エーカーさん…さっき口説くのは自重するって言ってたのに」
非難めいた視線。私は怯むことなくそれを受け止める。
「ああ、無理だった。やはり君を前にしては、ね。賛辞する言葉が止まらないよ、」
凄く素敵だ。
耳元で囁く。
それほど捻った文句でもなかったが、偽りのない言葉だった。
の顔に一瞬で火が上る。
ああ、なんて。
なんて愛らしいんだ、!
私は感極まって、思い切り腕を広げて彼女に近づいた。
「今この瞬間抱き締めても構わないだろうか、・!」
「きゃああいやあ!もう抱き締めてるし!きゃあ!やだもう!ちょっと!エーカーさん!ねぇみんな見てる!」
「構うものか!私はずっとこうしたかった!」
色とりどりの紙吹雪にまみれて私は彼女を抱き締めた。小柄な彼女は私の腕に抱き込まれて最早身動きさえ取れない状態だった。
その小ささも愛しく思い、私は羽根みたいな軽さの彼女を抱き上げて勢いのままにくるくると回りだした。
馬鹿みたいに世界が、景色が廻る。
君がいるだけで世界が輝くような気さえする。いや、輝いている。そうとしか思えない。
「全く世界は眩しいな、!君のせいだ!」
やめてやめてと懇願する彼女には申し訳無いが、私は廻ったまま、ありのままの想いを告げる。
言い尽くすことなどあり得ない。
想いは泉のように溢れ出て、枯れることなど思いもよらないのだ。
「可愛いよ、!今はこれしか言えない。本当だ」
「いやああ!なんてことを!こ、のっ恥さらし!」
「純然たる事実だ!認めたまえ!」
「は、恥ずかし…!」
「はははは!林檎のように真っ赤だな、君は!」
日頃の訓練の賜物か、女性一人抱き上げて回そうが悲鳴のひとつも私の腕は上げなかったが、そろそろ降ろしてやらなければ彼女のほうが身がもたないようだった。
顔だけではなく目も真っ赤になり、涙が浮かびあがっている。
泣かせてしまったと思わず目を見張ったが、その様も可愛いので瞼に触れるだけの口づけを贈り、ゆっくりと降ろしてやった。
カツ、とヒールが石畳に着地する音がしてその動作が完了する。
降りるや否や彼女は力無くその場に座り込むと、恨めしそうに私を見上げ、辛辣に悪態をついた。
「エーカーさんの馬鹿!上級大尉のくせに頭軽いんじゃないの!」
「何を言う!この頭の中には君のことが一分の隙もなく刻まれているから軽いはずなどないぞ!」
「そぉれぇがぁ!軽いっていうのよ、この変態!上官じゃなかったら酸ぶっかけてやるんだから!」
泣きそうだというのに、必死になって噛みついてくるとはなんて元気な女性なのか。
私は込み上げる笑いを懸命に噛み殺し、上着の内からハンカチを取って彼女の目許を拭ってやった。
「怒ったところで私の考えなど変わらないよ、。私は君が可愛くて仕方ないんだ」
「優しくしながらそんなこと言わないで」
「優しくもしたいさ。君が少しでも私に傾いてくれるならな」
が振り向いてくれるなら何だってしよう。何も厭うことなどない。君の心を掴むという勝利を手にするまでは、私は追撃の手を緩めることなどしはしない。
私の告白に彼女は呆気に取られたように緑灰色の瞳を見開いた。
小さく息を吸い込む。
「エーカーさん、貴方ホントにあたしのことが好きなのね」
つくづくと言われた言葉に私は小さく微笑んだ。
「、私にもなりたいものがひとつある。それが君には分かるかい?」
分からないはずはない。
何度その耳元に囁いたか。私は唇に弧を描いたまま、同じようにそっと囁いた。
晴れた空の下、君の耳元に
(愛しているよ。永遠に君の心を奪う唯一になりたいんだ)
1本書いて、ハム話はやたらと体力を消費するということを学習しました(滝汗)。
上級大尉ならこれくらいは言うだろうと、普段使わない言葉がずらずらと並ぶはめに・・・。
楽しいけど、あの人は要注意人物です。2期のあの衣装はなに(笑)。
(2008/09/19)