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貴方の大切な人の大切な日に、
ローゼンバーグのケーキはいかが?
貴方の願い通りに、
貴方の大切な人へ真心こめて、
美味しいケーキを拵えます。
ふわふわのクリーム。
可愛いお砂糖人形。
甘酸っぱいイチゴ。
お花のデコレーション。
みーんな可愛くお作りします。
ローゼンバーグのケーキはいかが?
貴方の大切な人に幸せが訪れますよう!
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地球・日本・経済特区東京は今、グリニッジ標準時で昼食時を迎えている。
誰しもが惣菜店なりカフェなりレストランになり足を向けるなか、例に漏れずも自宅から程近い蕎麦屋でその腹を満たしていた。
今日は少しだけ豪勢に海老の天麩羅を乗せて、あとは付け合わせに鰯のつみれ汁を頼んだ。
ああ、なんて美味しそう。
なんて美味しそうな出汁の香り。天麩羅。つみれ。
白磁の指先を頬に添え、うっとりと微笑んでから空腹に満たされた頭でぼんやり思う。
……あたし、何かを忘れているわ。
しかし、糖分の不足した脳ではその“何か”を思い出すのは酷く困難に思える。
「どうしたの、ちゃん。冷めちまうよ」
柳眉を寄せて考え込むに、店主が声をかける。言外に含まれた非難に、は一切の思考を振り切った。
分からないものは分からない。よっぽどのことならそのうち思い出すだろう。
ということで。
「いただきます!」
ぱん、と手を合わせ、手早く割り箸を割ってから湯気を立てる蕎麦を掬い上げる。
程好い甘みの出汁が絡んだ蕎麦がするりと喉を落ちていく感覚があった。
空腹は最高のスパイスだなんて一体誰が言ったんだか知らないが、その思考には全く同意する。
今、喉を通る食物は間違いなく美味で、これ以上ないというくらい自分のランチにはぴったりだと思えた。
だというのに。
貴方の大切な人の大切な日に、
ローゼンバーグのケーキはいかが?
軽快なピアノのリズムと共に、大きな頭をふりふり歌い踊る薔薇の妖精を模した着ぐるみが、店内備え付けのテレビ画面に現れた時、は蕎麦を一瞬でリバースしそうになった。
「…っ!…!!っなに!?」
は自身が生まれ持った容貌というものが、他人にどのような印象を与えるかを非常によく理解していた。だからこそ一度は口に入れた物を吐き出すという失態など犯しはしなかったが、動揺に囚われた声だけはどうしても隠しようがなかった。
カウンターの席に腰かけていた中年の店主が、豪快に笑いながらを宥める。
「まあ落ち着きなって。ちゃん、あんたあのCM初めて見たのかい?ローゼンバーグ洋菓子店のだよ。まあ驚くよな。あんなでかい着ぐるみじゃあなあ…」
違う違うのよ、おじさん!
赤い唇をパクパクと動かして否定しようとするが、あまりの衝撃に声が出ない。
手元にあった氷水を一気に煽り、は口早に店主に尋ねた。
「失礼、あれはローゼンバーグ洋菓子店のCMなのよね?ケーキ屋さんよね?」
「そうだよ。値段は張るが、味はそれ以上だって評判だ」
「大切な日って誕生日とかも入っているわよね?誕生日とか」
「まあそうだな。誕生日も大切な日になるよな」
「……最後にもうひとつ。嘘は言わないで頂戴」
はずいっと身を乗り出して禁断の問いを投げ掛けた。
「今日は何月何日?」
「2月27日!」
店主の笑顔が胸に刺さる。
は軽い眩暈を覚えた。
せっかく頼んだ食事を残すのも癪なので、思い切り口に頬張ってからは蕎麦屋を後にした。
2月の冷たい風がの細い身体に吹き付けるが、それにも構わず彼女は通信の回線を開いた。
「アレルヤ」
『どうしたの、。何かあった?』
光学立体映像として現れたアレルヤの顔を見て、は思わず片手で面を覆った。
忘れていたのはアレルヤのことだ。
しかも彼がこの世に生を受けた記念すべき日。誕生日というその日。
宇宙と地球、地球の中でも各国へと飛び回る多忙な毎日の中に、記憶は薄れ埋没していたのだ。
『?頭が痛いの?大丈夫かい?』
気遣わしげに首を傾げるアレルヤ。
そんな風に心配されては立つ瀬がない。というより失念していた自分には心配されるだけの資格はない。
だから取り繕うように微笑んでみせた。今出来るだけの最高の笑顔で。
「平気、平気よ。心配しないで。あたしのことは良いの。そんなことよりもアレルヤ、貴方は元気にしていた?」
『僕は元気だよ。怪我もしていないし、いつも通り。…君がいないこと以外は普段通りだよ』
アレルヤの口から溜息が洩れた。
は少し寂しそうに笑う彼の頬に手を伸ばした。
しかし、そのアレルヤはただの映像で、実際に触れることは敵わなかった。
映像がぶれる。
しかしアレルヤはくすぐったそうに銀の瞳を閉じた。
『ああ、早くに逢いたいな。もう二週間も逢ってない。ちょっと離れただけなのに、僕はなんだかおかしくなりそうだよ…』
変だよね、とアレルヤが苦笑した。
は顔を横に振った。
「いいえ、変なことなんてないわ。寧ろお互いそうあるのが幸せなことよ。なのに、あたしときたら…」
ここに至ってアレルヤと自身の想いの差を認識したような気がする。
片や逢えなくて変になりそうだと言うアレルヤと、片や仕事に追われ恋人の誕生日を忘れる自身。
間違いなくアレルヤを愛しているのだけれど、果たして彼の望む通りの愛情を返してあげられているのだろうか。
卑怯だな。
あたしはきっと物凄く卑怯。
涙が溢れそうになる。
いっそ詰られたが楽だというのに、アレルヤはまたもを心配した。
『、本当にどうしたの?泣きそうだよ…。泣かないで』
「…アレルヤ、お願いだから慰めないで。あたし、貴方に優しくされる資格なんてないのよ」
『資格…?そんなもの』
「ないの。本当にないのよ」
アレルヤが眉を潜める。
気を落ち着けるために一つ大きく呼吸して、は静かに口を開いた。
「ねぇ、アレルヤ。お誕生日おめでとう。今日は貴方のお誕生日よね」
『…ありがとう!まさか当日に君からおめでとうって言ってもらえるなんて思ってもなかったよ…。すごく、すごく嬉しいよ』
アレルヤが幸せそうに破顔した。
心底嬉しそうな笑顔だったが、の話は終わっていない。
「だけどね…。あたし、今の今まで、そのことずっと忘れてた。言い訳はしないわ。ただ忘れていたの。だから、何も用意できていないの。…本当にごめんなさい」
はアレルヤに向かって頭を下げた。
アレルヤの顔が見えない。がっかりしただろうか。
怒っているだろうか。
失望しているのだろうか。怖い。
顔があげられない。
怖い。
アレルヤにがっかりされるのが怖い。
怒られるのはまだいい。そんなのはアレルヤにしてみれば当然だ。罵ってくれてもいい。自分はそれだけのことをした。
失望されるのも。
だけど、こればかりは堪えられそうもない。
……アレルヤに、嫌われたくない。
『』
暫くの沈黙の後、アレルヤがいつもの穏やかな声音で、の名を呼んだ。
『顔をあげてよ。二週間ぶりなんだ、もっと顔をよく見たい』
アレルヤに言われるがまま顔を上げると、彼は困ったように微笑んでいた。
『やっぱり…は綺麗だね。物凄く綺麗だ。僕には勿体無いとつくづく思うよ』
「アレルヤ」
『僕、これから休暇に入るんだ。地球に降りるよ』
アレルヤの突然の言葉に、は目を丸くした。
彼の言っていることがいまいち理解できない。
『はそこで待ってて。あ、休暇中君の家に泊めてもらえたら嬉しいな』
「え、あ、それは別に…」
『良かった。決まりだね。暫くは二人きりだよ。楽しみだね!』
「う、うん?楽しみーぃ」
『あ、それとローゼンバーグのケーキ。大きいのがいいな。一緒に食べよう』
バースデーケーキのことだ。
地球に降りてきてから食べるのだろう。大事なケーキなのに1日も遅れるだなんて。
アレルヤは怒りもせずに、自分と休暇を過ごすために地球に降りた上、ケーキを一緒に食べるつもりでいてくれるらしいのだが、その気遣いさえ申し訳ない気がして俯きかけたに、アレルヤは片眉を上げてみせた。
『、まだだよ』
「なにが…?」
『僕の故郷ではまだ2月27日になってないから。まだ間に合うよ』
今、26日なんだよ。時差があるんだ。
にっこりと彼は微笑む。
ああ、なんて温かい笑顔。あたしの大好きな笑顔。
『もう…泣かないでって言ったのに。僕は今そこにいないんだからその涙を拭ってあげられないんだからね?…仕方ないな、は』
アレルヤは光学映像として投影される、の鮮明とは言い難い映像の目許にそっと唇を寄せた。
「逢いにいくよ。27日までに。だから、その時にもう一度言って?」
お誕生日おめでとう、アレルヤ。
僕は君のその言葉と、お花みたいな笑顔だけで他にもう何もいらないよ!
時差の螺旋